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捲土重来

このブログのタイトルは、投票くださった社長さんからにいただいた言葉です。

わざわざ、いどやまで結果を聞きに来て下さいました。

「今回は社員に強く言ったんだけどね。」

「捲土重来、次を目指して頑張ってください。」

店に食べに来てくれた方。

「次も出るんだろ。」

引き続き期待をかけてくださいます。

この度の江戸川区議会選挙は厳しい厳しい結果となりました。

すべては私の力不足でございます。

投じてくださった一票が無駄になってしまったこと、お詫びいたします。

大変大変申し訳ありませんでした。

これまで、様々に多大なるご支援、ご指導くださいましたこと心より感謝申し上げます。

皆様のご尽力なくしては戦い続けることはできませんでした。

そして、結果に結び付けることができず、申し訳ありませんでした。

「1票を入れることしかできないで、なんのお役にも立てずにすみません。」

お詫びするのは私の方です。こんな言葉を口にさせ、そんな思いをさせてしまった。

本当にすみません。

皆様の残念な気持ちがひしひしと伝わってきました。

その言葉、お気持ちを受けて涙があふれてきます。

この悔しさをバネに、次の挑戦に向けてまた一歩踏み出してまいります。

これからもどうぞご指導賜れますことお願い申し上げます。


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女将さん、大好きです

金時の女将さん

いつも目を細めて、本当に優し~いまなざしをくださって、いつもとろけそうです。

お稲荷、道明寺うまかったー。

「頑張ってるね。」

お店に出てきたお嫁さんにも、彼頑張ってるのよ、と。

優しくて優しくて、ここへ来るとホッとするんです。

本当に、あったかいんだから~じゃないですけど、ホントあったかいんです。

第二の母親です。

若旦那は幸せだなぁ、なんて。

結婚の心配もくださって。

今度のチャレンジで、「区議になりました」と喜ばせたい。

大好きな女将さんへの恩返し、当選勝ち取るぞ!


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55年、階段で鍛えた脚は折れない

銭湯の母。

昭和35年に小岩の地に来た。

銭湯一筋55年。

吉野湯は地域の憩いの場だ。

一人で暮らしてる方もいるからと、憩いに来る方に声をかけ続ける母。

競馬はしないが、男衆のために競馬テレビを見て話の種をつくる。

競馬の話をしていたら、

声をかけても一言も話さなかった男が、

「女将さん競馬やるの?」と話してきた。

嬉しい瞬間でした。

慈愛にみちた母。

今日も声かけ、優しさをそそぐ。

区議会でるのかい。頑張りなよ。 優しく励ましてくれる。

お母さんありがとう。

くじいた左脚、大事にされてください。

「そこのNTTのとこに田舎芝居があってね。」

「役者が、おしろい塗ったまま、うちに入りに来てたんだよ。」

歴史ある吉野湯、いつまでも憩いの場であってください。


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感謝の思いしか出てきませんでした。

「江戸川区議会議員選挙の時、大変お世話になった地元の名士が亡くなった。」

この一行から始まる、当時書いていた文章、途中のまま何年も保存状態にしてました。数年が経ち、ここで思いをアップします。

通夜の式場で、ご焼香に並んだ時、遺影を見ていて込み上げてくる感情があった。

初めての選挙で、何度も様々にご指導をいただけた、

そのことに、ただただ、ただただ、 「ありがとうございました。」 「ありがとうございました。」 という思いだけが心から湧き上がっていました。

式場の全駐車場が溢れかえる。

隣の和食屋さんの駐車スペースが臨時駐車場になるくらい。

多くの方に慕われていた名士。

今でも、感謝の言葉しか出てきません。

芦田のおじさん、本当にありがとうございました。

そして、4月26日の江戸川区議会選挙に再挑戦します。

おじさん、天国から、またご指導お願い致します!


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大工の仕事はカッコイイ

南篠崎の天祖神社例大祭の準備に参加した。

朝8時、神社に集まる100人弱。

氏子の会長等のあいさつの後、準備運動。 男も女も総勢100名が境内内でシコ踏み、外から見てどう映ったんだろうか。

防犯防火部は毎回特別席のやぐら設営。

地元大工3人の指示のもと男衆が木材片手に大工仕事。

慣れない手つきで木材をインパクトドライバーでつないでいく。 コツが分からずネジがなかなか入っていかない。 しまいには煙が出る始末。

何度やっても煙が。。。

コツを聞こうと大工に言ったら、 「プロとアマの違いだよ!こちとら何年やってっと思ってんだ。」

これは経験を積むしかないとひたすらネジを回す。

やってるうちに大工が出す音と同じ音がした。 「防犯部長、今イイ音しましたね。うまいじゃないすか。」

10時休憩に入る前にコツをつかみはじめ、ますます面白くなってきた。

インパクトはスイッチ一つでドライバーを逆回転できる。 それを知らずに、逆回転で力まかせにネジを押し込んでいたことも(汗)

材木屋の氏子会長がコンパネ(ラワンベニヤ)をフォークリフトで運んでくる。

現場監督の会長はいろいろ指摘される。 けっこう頭ごなしに言われるので、ちょいと嫌気がさす方もいて。

言われた大工が

「あったーきた!」

と指摘と違う方法でやり始める一幕も。

打ち合わせと違う面があったようです。

4年に一度の例大祭。 60代以上のベテランの方々が手際よく準備をすすめる。 伝統行事の運営は連綿と引き継がれてきた。 私もそこに少しばかり足を踏み入れさせていただいた。

2日目の準備も手伝わせていただきます!

(婦人部のカレーライスはうまかった~。2日目の昼もカレーかな。楽しみ(^^)


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江戸芸

そば屋組合旅行の打ち合わせで、柿の木坂の支部長のとこに顔を出す。

支部長「奥の座敷だから」

行ってみると、ご婦人が二人。 アルバム写真をひろげて、たすきを掛け始める。

アルバムには浴衣姿で踊っている写真がいくつもある。 「音流すからこれ持ってきたのよ。」 手のひらサイズのカセットテープレコーダーだ。(年季が入ってんなぁ)

スイッチを入れると、なにやら陽気な音楽が流れてきた。

かっぽ~れ♪ かっぽ~れ♪ はぁ~~よいとなぁ それ~♪

何だなんだ? ご婦人が踊り出す。

あとから来た組合・青年部の皆さんが、 「ああ、これを踊るのか」と立ち上がり、並んで踊り出す。

何だなんだ? ご婦人の見よう見まねで踊る青年部。

組合旅行の当番って、出しもののするのか? 私も列の後ろに並び踊り始める。

ほどなく支部長と組合の理事も来て踊りの中へ。

かっぽ~れ♪ かっぽ~れ♪

小一時間、踊りをおぼえる。 踊ってる最中、自分は何をやってるんだ?と何度か疑問符が頭をよぎったが。。

来週月・火の21時~また練習となった。

ご婦人2人は踊りの先生だったようだ。 「かっぽれ」を初めて踊った。なかなかおもしろかった。

ネット動画でかっぽれを見てみたが、習ったものと同じものがまったくなかった。 流派がいろいろあるらしい。


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最近代理出席が多い

23時過ぎに帰宅。

親父が流しで食器を洗っている。

いつもなら寝室にいる時間なのに、こんな遅い時間に洗い物とは。。と思いつつ

ワイシャツのアイロンがけをしに、ばあ様のいる居間へ。

二枚のアイロンがけが終わり、ワールドビジネスサテライトを見ていると風呂あがりの親父が居間に顔を出す。

親父『いま暇あるか?』

私「水曜日以外なら時間つくれるよ。」

『水曜日?』 『9月7日(水)に勝浦の三日月に行けるか。』

「7日かぁ」 カレンダーを見る。

『小岩支部が当番でよ。人出さなきゃいけねえんだ。』 『三日月に17時だ。受付とか、お酌はいるからいいんだけど、カラオケのセットとかな。』

はは~ん。東京都麺類協同組合の慰安旅行かぁ。

『俺は行けねえから、さっさと帰ってきちまったけどよ。』 『集まりがあったからこんな時間に台所にいたんだ。』 『行けるか?』

7日は調整しないとだな。 「いいよ」

『足代は出ねえんだよ。バスも出さねえっていうからよ。』 『15時に車で行けば着くだろう。』 『次の日は朝パーっと帰ってきちまえばいいから。』

いや、折角なんでゆっくりしたいです。

『行けるなら明日支部長に言っとくから。』 『人増えると喜ぶだろうから。行けるか?』

「うん、行けるよ。」

『おう。』

ということで、引き受けた。 親父、集まりを途中で抜けてきたから、詳しく分からないのだろう。 小岩の支部長に聞かないとだな。

当日は、お世話になった小岩の支部長に恩返しだ。


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ちょっとネガティブ

うちのばあ様は毎日甲子園観戦。

日大三高の話ばかりしてます。 「日大三高は強いね。」 日大三高を応援してるようです。

翻って私は。 まったく野球は観ません。

ビデオでテレビ番組を録画し始めたころ、プロ野球番組の延長に散々泣かされまして、 その鬱憤がしこりとなって、私の辞書の野球という言葉に悪イメージが刻まれました。

「30分録画が録れてないのォ。。」

甲子園も延長かぁ。 次の番組録画時間ずらさなきゃ。

一度、東京ドームでサントリーのモルツ球団の試合を内野席で見たことがあります。 その時は、なんとも言えない優雅さといいますか、解放感といいますか、 ゆったりとモルツを飲みながら、試合を観戦する。これは格別でした。

サッカーと違って、野球の試合は間があるというか、投げて打って走って、 次の打者がバッターボックスに立つまで間があってと、せかせかせず ゆったり観戦できたのが、私にはヒットでした。

野球は球場で観るものですね。

それっきり一回しか球場観戦はしてません。 来月、プロ野球観戦しに。。

PS:野球を観ないので「マジック」という野球用語の意味は知らないです。


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平和と繁栄への誓い

始めの3秒間、蛇口からのお湯はエネルギーいらず。 節電の今、これもエコかな。

菅さんのもとでは節電したくねえな! 訪問したオヤジさんは言う。 「私もです!ばあ様が熱中症になったら大変だから、冷房ガンガンですよ。」

塗装会社の社長へは、小島一郎さんと訪問。 8月15日靖国神社へ参拝に行った話。

社長 「閣僚一人も参拝に行かなかったな。」 「お国のために戦った者が祭られてるんだからよ。 好きで行ったわけじゃねえ者もいる。いやいや行った者もいるんだから、なあ。」

終戦記念日にあたる日は、他国云々のまえに、 まずは国のために戦い亡くなった先祖をお参りするのが、 後世に生かされている者の礼儀ではないか。

「配慮」などというヘッピリ腰な輩たちに、国を守る気概が本当にあるのか。 実際の有事のときに、戦う決断と行動がとれるのか。 疑問符がいっぱいで、私は信用できない。

靖国神社に祭られてる、明治維新のさきがけとなって斃れた志士などの英霊、神霊が 「配慮」といってる者たちの姿を見たら、本当にかなしむと思うし、 すでにかなしんでいることだろう。 まったく浮かばれない。

先の大戦では、この江戸川区の地から日本軍にたくさん召集され戦死し、 民間人もたくさん亡くなった。

その死が無駄にならないように、戦後みなさまが築き上げてきたものをしっかりと受け継ぎ、 発展繁栄させ、次の世代に引き継いで参ります。

ヘッピリ腰な輩たちによって、日本が、この江戸川区が危うい目にあわぬよう、 しっかり訴え、啓蒙し、守っていく気概でおります。

いまいちど英霊、神霊に感謝をささげます。


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そこまでっ

当時、祖父の家政婦を長年つとめて下さった、福泉のおばさん宅へ挨拶にいった。

おうちに上げて下さり、しばし話をした。

突然の訪問に息子さんがお足を使って買ってきてくださった、ファンタグレープ葉の茶 芳醇な旨みを2本もいただいてしまいました。

とくに葉の茶 芳醇な旨みがうまかったです。 玉露の粉末が程良く効いてて、綾鷹がかすむ程のうまさでした。 緑茶飲料の久々のヒットです!

おばさんと話をしていて目にとまったのが、4月24日の選挙の時の推薦はがき。

食器棚の前に名刺と一緒にかざってありました。

「卓上カレンダーの台を使ってるんよ。」 「息子にいつまで飾ってるんだと言われるんだけどね。」 「この笑顔を見てると元気がでるのよ。」

本人を目の前にして、嬉しいことを言ってくださいました。 「おばちゃん、ありがとう!」

こちらも元気をいっぱいいただきました。 がんばります!


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いどや物語

明治以前、わらぶき屋根の曲り屋だった細井家の庭には、水がこんこんと湧いておりました。

毎朝ご近所の皆さんが、その水を汲んで畑仕事に向かっておりました。

惜しげもなく水を汲ませる細井家は、いつしか「いどや」さんと呼ばれるようになりました。

屋号の誕生です。

時は流れて昭和。「いどや」を継ぐ、ほそい信之の父は、そば屋を開く時、修業先の「鈴木」の屋号を受けず、代々の屋号「いどや」を店の名前にしました。

いどやの精神を受け継ぐ、惜しげもなく盛る大もりそばは、食べきれないくらいです。

そして平成、「いどや」次代の跡取り「ほそい信之」は、皆様の声を大事に受取り、区政にしっかり届け、その実現のために働きます。井戸のように汲めども尽きない政策で、江戸川区を日本一住みやすい区にしてまいります。