Archive for 8月 2011

最近代理出席が多い

23時過ぎに帰宅。

親父が流しで食器を洗っている。

いつもなら寝室にいる時間なのに、こんな遅い時間に洗い物とは。。と思いつつ

ワイシャツのアイロンがけをしに、ばあ様のいる居間へ。

二枚のアイロンがけが終わり、ワールドビジネスサテライトを見ていると風呂あがりの親父が居間に顔を出す。

親父『いま暇あるか?』

私「水曜日以外なら時間つくれるよ。」

『水曜日?』 『9月7日(水)に勝浦の三日月に行けるか。』

「7日かぁ」 カレンダーを見る。

『小岩支部が当番でよ。人出さなきゃいけねえんだ。』 『三日月に17時だ。受付とか、お酌はいるからいいんだけど、カラオケのセットとかな。』

はは~ん。東京都麺類協同組合の慰安旅行かぁ。

『俺は行けねえから、さっさと帰ってきちまったけどよ。』 『集まりがあったからこんな時間に台所にいたんだ。』 『行けるか?』

7日は調整しないとだな。 「いいよ」

『足代は出ねえんだよ。バスも出さねえっていうからよ。』 『15時に車で行けば着くだろう。』 『次の日は朝パーっと帰ってきちまえばいいから。』

いや、折角なんでゆっくりしたいです。

『行けるなら明日支部長に言っとくから。』 『人増えると喜ぶだろうから。行けるか?』

「うん、行けるよ。」

『おう。』

ということで、引き受けた。 親父、集まりを途中で抜けてきたから、詳しく分からないのだろう。 小岩の支部長に聞かないとだな。

当日は、お世話になった小岩の支部長に恩返しだ。


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ちょっとネガティブ

うちのばあ様は毎日甲子園観戦。

日大三高の話ばかりしてます。 「日大三高は強いね。」 日大三高を応援してるようです。

翻って私は。 まったく野球は観ません。

ビデオでテレビ番組を録画し始めたころ、プロ野球番組の延長に散々泣かされまして、 その鬱憤がしこりとなって、私の辞書の野球という言葉に悪イメージが刻まれました。

「30分録画が録れてないのォ。。」

甲子園も延長かぁ。 次の番組録画時間ずらさなきゃ。

一度、東京ドームでサントリーのモルツ球団の試合を内野席で見たことがあります。 その時は、なんとも言えない優雅さといいますか、解放感といいますか、 ゆったりとモルツを飲みながら、試合を観戦する。これは格別でした。

サッカーと違って、野球の試合は間があるというか、投げて打って走って、 次の打者がバッターボックスに立つまで間があってと、せかせかせず ゆったり観戦できたのが、私にはヒットでした。

野球は球場で観るものですね。

それっきり一回しか球場観戦はしてません。 来月、プロ野球観戦しに。。

PS:野球を観ないので「マジック」という野球用語の意味は知らないです。


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平和と繁栄への誓い

始めの3秒間、蛇口からのお湯はエネルギーいらず。 節電の今、これもエコかな。

菅さんのもとでは節電したくねえな! 訪問したオヤジさんは言う。 「私もです!ばあ様が熱中症になったら大変だから、冷房ガンガンですよ。」

塗装会社の社長へは、小島一郎さんと訪問。 8月15日靖国神社へ参拝に行った話。

社長 「閣僚一人も参拝に行かなかったな。」 「お国のために戦った者が祭られてるんだからよ。 好きで行ったわけじゃねえ者もいる。いやいや行った者もいるんだから、なあ。」

終戦記念日にあたる日は、他国云々のまえに、 まずは国のために戦い亡くなった先祖をお参りするのが、 後世に生かされている者の礼儀ではないか。

「配慮」などというヘッピリ腰な輩たちに、国を守る気概が本当にあるのか。 実際の有事のときに、戦う決断と行動がとれるのか。 疑問符がいっぱいで、私は信用できない。

靖国神社に祭られてる、明治維新のさきがけとなって斃れた志士などの英霊、神霊が 「配慮」といってる者たちの姿を見たら、本当にかなしむと思うし、 すでにかなしんでいることだろう。 まったく浮かばれない。

先の大戦では、この江戸川区の地から日本軍にたくさん召集され戦死し、 民間人もたくさん亡くなった。

その死が無駄にならないように、戦後みなさまが築き上げてきたものをしっかりと受け継ぎ、 発展繁栄させ、次の世代に引き継いで参ります。

ヘッピリ腰な輩たちによって、日本が、この江戸川区が危うい目にあわぬよう、 しっかり訴え、啓蒙し、守っていく気概でおります。

いまいちど英霊、神霊に感謝をささげます。


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いどや物語

明治以前、わらぶき屋根の曲り屋だった細井家の庭には、水がこんこんと湧いておりました。

毎朝ご近所の皆さんが、その水を汲んで畑仕事に向かっておりました。

惜しげもなく水を汲ませる細井家は、いつしか「いどや」さんと呼ばれるようになりました。

屋号の誕生です。

時は流れて昭和。「いどや」を継ぐ、ほそい信之の父は、そば屋を開く時、修業先の「鈴木」の屋号を受けず、代々の屋号「いどや」を店の名前にしました。

いどやの精神を受け継ぐ、惜しげもなく盛る大もりそばは、食べきれないくらいです。

そして平成、「いどや」次代の跡取り「ほそい信之」は、皆様の声を大事に受取り、区政にしっかり届け、その実現のために働きます。井戸のように汲めども尽きない政策で、江戸川区を日本一住みやすい区にしてまいります。