最近代理出席が多い

23時過ぎに帰宅。

親父が流しで食器を洗っている。

いつもなら寝室にいる時間なのに、こんな遅い時間に洗い物とは。。と思いつつ

ワイシャツのアイロンがけをしに、ばあ様のいる居間へ。

二枚のアイロンがけが終わり、ワールドビジネスサテライトを見ていると風呂あがりの親父が居間に顔を出す。

親父『いま暇あるか?』

私「水曜日以外なら時間つくれるよ。」

『水曜日?』
『9月7日(水)に勝浦の三日月に行けるか。』

「7日かぁ」
カレンダーを見る。

『小岩支部が当番でよ。人出さなきゃいけねえんだ。』
『三日月に17時だ。受付とか、お酌はいるからいいんだけど、カラオケのセットとかな。』

はは~ん。東京都麺類協同組合の慰安旅行かぁ。

『俺は行けねえから、さっさと帰ってきちまったけどよ。』
『集まりがあったからこんな時間に台所にいたんだ。』
『行けるか?』

7日は調整しないとだな。
「いいよ」

『足代は出ねえんだよ。バスも出さねえっていうからよ。』
『15時に車で行けば着くだろう。』
『次の日は朝パーっと帰ってきちまえばいいから。』

いや、折角なんでゆっくりしたいです。

『行けるなら明日支部長に言っとくから。』
『人増えると喜ぶだろうから。行けるか?』

「うん、行けるよ。」

『おう。』

ということで、引き受けた。
親父、集まりを途中で抜けてきたから、詳しく分からないのだろう。
小岩の支部長に聞かないとだな。

当日は、お世話になった小岩の支部長に恩返しだ。


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いどや物語

明治以前、わらぶき屋根の曲り屋だった細井家の庭には、水がこんこんと湧いておりました。

毎朝ご近所の皆さんが、その水を汲んで畑仕事に向かっておりました。

惜しげもなく水を汲ませる細井家は、いつしか「いどや」さんと呼ばれるようになりました。

屋号の誕生です。

時は流れて昭和。「いどや」を継ぐ、ほそい信之の父は、そば屋を開く時、修業先の「鈴木」の屋号を受けず、代々の屋号「いどや」を店の名前にしました。

いどやの精神を受け継ぐ、惜しげもなく盛る大もりそばは、食べきれないくらいです。

そして平成、「いどや」次代の跡取り「ほそい信之」は、皆様の声を大事に受取り、区政にしっかり届け、その実現のために働きます。井戸のように汲めども尽きない政策で、江戸川区を日本一住みやすい区にしてまいります。